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【昭和ニ十年八月五日(日)晴(被爆前日)】

午前中,例の如く,偕行社診療所に至る。日曜日にて外来稀なり。昼食は診療所にて代用食うどん一椀を食す。意外に美味,量多く満腹す。古本看護婦の紹介に依り,午後,新しき下宿先白島,三好氏宅を訪ぬ。外観は洋風なるも,内部には多くの和室あり,現在,三組の夫婦者入居中と言ふ。ニ部屋の借入を約す。夫君は目下出征中にして国民学校児童のニ児あり。三好氏宅を辞して三篠本町に帰る。途次,炎暑焼くが如し。移転のため荷物を纒む。蚊帳,夏布団,書籍其他雑品若干あるのみ。夕刻偕行社に於て,診療所職員一同として,田中少尉送別会開催の約あり。五時半再度偕行社に赴く。会する者,賓客田中少尉を中心に成川中尉殿,歯科医師吉岡某,神舎,古本,山田の三看護婦と自分の七名なり。田中少尉は某部隊に転属なり。君とは入営以来,離合集散甚しき中にも,常に相携へて行を倶にせし者,肝胆相照す仲なり。今夕を以て手を分たんとす。我胸中,転た落莫悲愁の情なきを得んや。席上酒あり。成川中尉殿の斡旋に依り辛うじてもたらされしものにして,その量ニ升有余。珍重すべきこと,滴一滴すべて玉液に等しと言ふべきか。吉岡歯科医師,看護婦諸娘は,殆んど酒を嗜まず。乃ち我等三名,献酬杯を重ねて痛飲,爛酔す。酒宴半にして,談偶々時局に及ぶ。戦況,日々に非なるを嘆じ,窮極は悲観論に傾く。大日本帝国陸軍将校として死に処するの道を説くのみ。田中少尉は曰く,一死国難に殉ずるも,一つの道なるも,我々の真の生命は医師にあり,これにより先,なすべきこと多々あり,死を急ぐべからずと。一同うなずく。宴終りて,成川中尉殿の自転車の後に乗せていただき本院に帰る。正に午後八時なり。時に本院娯楽室に於ては,院長殿主催の下に、時局柄最後の尉官級将校の慰労宴が,急遽開催されて居り,院長殿はわが不在を尋ねて居られし由,井上婦長より聞く。しかし酔歩蹣跚,院長殿の前に醜態を晒すべからず。他日,事の顛末を述べて陳謝すれば足るべし。十五号病棟医官室にて寝に就く。九時過,空襲警報発令。爆音,高射砲を遠くに聞く。暫時にして解除。












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