【被曝医師肥田舜太郎先生の御意見】

肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島生まれ。1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島第一陸軍病院に赴任。1945年広島にて被曝。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。自身の被曝体験を原点に、被曝者治療と核兵器廃絶運動に関わり続け、今もなお各地での精力的な講演活動は続いている。著書「広島の消えた日-被曝軍医の証言」、「内部被曝の脅威」など

                  

平成23年4月24日に「原発なしで暮らしたい100万人アクションin ヒロシマ」という反原発集会に招かれた肥田舜太郎先生の講演内容です。未曾有の福島第一原発の事故以後多くの原発関係者・科学者などが意見を述べていますが、全ては広島・長崎で直接被曝を体験されなかった人々の机上の空論を述べているように思えます。肥田先生は広島で被曝を体験されしかも医師という専門家からの発言は被曝体験もしてない医師の資格の無い学識者の発言よりもはるかに説得力があります。先生の切実な訴えを皆様に知って頂ければ幸甚です。

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え、みなさん、こんにちわ。私は今ご紹介いただいた、肥田舜太郎という内科の医者です。94歳ですから、あんまり、確かなように話すことが出来ないかもしれませんが、みなさんに、まだみんなが教えられていない、広島・長崎の原爆の本当の被害の中身を、短い時間ですが、簡単に分かるようにお知らせします。ご承知のように原子爆弾は放射線のエネルギ-を基にした爆弾です。今までの日本、世界中の人々が持っていたどんな兵器とも全く違う、放射線というものを燃料に使って爆発させる。ですから、その被害を受けた人は、やけどをしたり強い爆風で吹っ飛ばされたりする被害の他に放射線が人間の体をいろいろと壊します。直接爆発した下にいた人は、いわゆるピカを浴びた人は、頭の毛が抜けたり血を吐いたり、体に他の病気では出ない紫色の斑点が出たりという特殊な5つの症状で、直後に頭の上で爆発した放射線を浴びた人はたくさん死にました。ところが、放射線は爆発したその町に残っていて、1つは、地面の上に降り積もっていた放射線の粒子、粒を人間が触ったり歩いて飛び立った埃として吸いこむ。
また水源地が侵されて水の中にたくさんあるのを飲む。それからあのきのこ雲という舞い上がったあの雲は、爆発の時に参加しなかった生のままのプルトニウムとかウラニウムという、放射線の粒があの中にいっぱい詰まっていて、それがいっぺんに成層圏まで舞い上がります。しかし小さな粒でも重みがありますから、降ってくる。


だから後から親父を捜しに街に入つた、4日後に妹や弟の様子を見に入った、自分は爆発とは何の関係の無い人が後から街に入ったために広島でも長崎でも今の医学では診断の出来ない不思議な病気がおこって大変苦しみました。それで大部分の被曝者は、ちょうど今から10年ほど前から今もそうですが、50年60年経ってから癌や白血病という悪性の病気で、今どんどん死んでいます。つまり、戦争の終わりに被曝した人が、60年も生きて、その生きている間も、健康で過ごせたのではなくて、しょちゅうお医者さんに行つて入退院を繰り返す。だけども病気の本体はよくわからない。そう言う事で苦しんだ人は最後は癌や白血病で命を取られる、放射線はそう言う性質を持っているのです。
ところが墜としたアメリカは直接ピカを浴びて、火傷をしたり大怪我をした人たちがそういう強い放射線で殺される、これは隠すことが出来ないんで、そのまんま認めたんですね。ところが後から街へ入った人が、今の医学ではわからないいろんな病気で苦しんだということを聞いても、それはその患者を診た医者が、原爆のことを悪くいうためにデマを飛ばしているんであって、体の中に入る僅かな放射線は全然害が無いということを、広島に爆弾を墜としてから1ケ月と2日目ちょうど9月8日の日、アメリカのあの原爆を造ったグループの一番TOPの人から2番目という偉い軍人が来て、まだマッカーサーが日本へ上陸する前に焼け残った東京の帝国ホテルのロビーに外国から来ているジャ-ナリストを集めて、つまり微量な放射線は体に入っても何にも害はないんだということを世界に向けて放送をし、日本の政府に向けてもそれを承知しろと。

で広島長崎で被害を受けた被曝者は、アメリカの軍事機密である原子爆弾の秘密の一部を自分の体で知ったわけだから、これはアメリカの軍事機密だから絶対に人に喋つてはいけない、それから書いて残してもいけない、勿論写真や絵で描いてもいけない、もし違反した者厳罰に処すと、占領政策の最初にそれを日本で宣言したんですね。だから広島長崎で被曝をして、兄弟も親もみんな死んじゃつた、財産も無くなった、行き場もない、そこら辺で倒れて寝っ転がっていた沢山の被曝者が、私は広島長崎で原爆を浴びてとても今困っています、助けて下さいということが言えなくなった。
これはアメリカが日本に原爆を投下したことも大変な罪悪ですけれども、それにもまして、戦争が終わって、自分の墜とした爆弾で、医学でも治しようもないという大変な病気を負っている被曝者に生きる道を閉ざすような大変悪いことをアメリカはしました。それは自分だけが持っている原爆という新しい爆弾の秘密がよその国に漏れることを非常に恐れたからです。みんなも知ってるように、アメリカ軍は戦争が終わってから7年間、アメリカの鉄砲を持った兵隊で、実際に軍事占領をしました。私たちは戦争で負けた上に食べ物もない、家も焼けてない、という中から日本の国を新しく作るために一生懸命働きました。私は医者だから、自然に被曝者をたくさん見ることになります。

日本の医者の殆どはアメリカの言うことをそのまま信じて、街から街へ入った被曝者が、かったるくて働くことが出来ない、他はなんともないんだけども、元気で働いていたら、ある日突然、大変な怠さが起って会社へ行けなくなった。3日も4日も続いてやっと軽くなったから会社に行ったら、その翌
月また同じことがおこって、要するに会社や工場で働き続けることが出来ない、という患者がいっぱい出たんですね。ところが日本の医者は、大学の教授から街の先生から、特に広島長崎の医者はみんなそうでしたが、アメリカから特に被曝者を一生懸命診るような医者は、何かアメリカに含むところがあると考えると睨む、お前たちはそいう意味でアメリカから目をつけると言われて、被曝者を親切に診るということも困難になった。つまり他国の軍隊に占領されて、自分の国の政府も役人も何の役にも立たなくなった、そういう状態に、私達日本人は一度、7年間苦しみを味わいました。私は銀座で、酔っぱらったアメリカの兵隊が数人で、公然の場所で、女性をレイプする現場を見たことがあります。日本の警官がそばにたってても、ちょっとでも問い詰めれば、殴り殺される、そういう占領を我々はうけたのです。しかも、今の医学では全く診断も治療も出来ない、新しい原爆病という病気、この病気の患者を研究することも、日本の学者は禁じられました。日本の政府は、困っている被曝者をなんとか生活させるために法律を作ってなんとか援護をすることも禁じられました。彼等は日本アメリカの軍事機密を知っているまだ敵性の国民なんだと。それを日本の政府が特別に面倒をみることは許さない、こういう占領が続いたのです。でもそれは7年後に終わりました、しかし、その直後あと、皆も知つている日米安保条約という条約ができて、日本の政府は今までも、日本を守ってくれるアメリカの核兵器が不利になるような運動を一切してはいけない。

まだ今の政府はそういう方針を持っています。私が皆さんに言いたいのは、放射線の、皆さんは今度東北で福島の原発が事故を起こして、沢山の人が今、うちにも帰れない、せっかくいたら外へ出ていけって言われるような目に今あつています。原発から漏れてくる、放射線も、原子爆弾でみんなが浴びる放射線も、放射線はおなじものなのです。全然違わないんです。プルトニウムとウランという2つの放射線分子を燃料にして熱を作って電気を起こしている。だから事故を起こしてこれを止められない。
皆さんはエネルギーを沢山知つています。一番、目にするのは火ですね。これはエネルギーですね。ところがこれはマツチの火はもみ消せば消える。ライターもスイッチをこすれば消えてしまいますね。あらゆるエネルギーは、他のエネルギーは、消すことが出来ます。ところが放射線のエネルギーは絶対に消すことが出来ないんですね。あれだけの事故を起こしたあの原子力発電所も、あそこで燃やしたウラニウムという原料がそのまま熱を持って燃え続けるのを消すことが出来ないんです、人間には。そういう難しいエネルギーを普通そこらへんにはないのを、無理やり特別な科学の方法で無理やり引っ張りだした。引っ張りだしたことはいいけれども、最初に使ったのは人殺しの爆弾に使ったと。そしてその機会が戦争が終われば、工場はそれを、もう造り続ける必要が無くなっちゃう、なんとか使えないかっていうので、無理やり電気を起こす電気を機械にして世界に売ったわけですね。

それを買った、買わされた日本がとびついて、それで電気を起こしはじめた。事故が起きなけりゃいいですよ。でも今度みたいに一度事故が起こったら、、もうどうしようもないんだ、あれ。埋めちゃうわけにもいかん。海へ放り込むわけにもいかん。どうしょうないんだ。でっぱなしですあれ。放射線が。だからあれはごくわずかだけれども、ずーっと毎日朝から晩まであの工場の屋根から上空中へ出て行く。水の中にも出る。それは無くなりませんからね。貯まるんです。どんどんどんどん。
だから東北のあの工場の真上に、ドンドン出る放射線はそのまま風に乗って好きなとこへ行きます。そして地面に降る。降ったら地面に留まって、そこはもうお米を作れない。商売には使えません。第一、そのそばへいけば被曝をします。そういうふうに今東北は、日本の国が東北という部分だけ破壊されてしまったと。極端に言えばそういう状態が今起こっている。ところがテレビに出てきて、知ったような解説をする学者がたくさんいます。彼等は放射線を作る側、あの放射線を作るのは簡単には出来ないんですがね、だからアメリカから今ウラニウムを買ってきて、やってるわけだけれども、あれをつくる側の学問をやってきている人がでているんですね。あそこへ。ところがこの放射線が人間にあたったときに、それが人間がどんな変化を起こすか、つてのは何にもしらないんです、彼等はだから直ちに心配なことはおこらない。そりゃそうですよ、今日被曝したら明日病気になる、そんなことはないんだ。

でももう現に東北では、下痢が始まっています。さっき此処にでられた被曝者の方が、お母さんも、妹も、弟も自分も下痢が始まったとおっしゃいました。最初の症状の一つに下痢が始まります。でこれは今の普通のお薬では止まりません。
だからわたくしが一番心配しているのは、あの今東北で本当に苦しみぬいている、それで長く住んでいるうちから遠い不便なところへ行って、隣の人とはボール紙一枚で仕切られたところで、もう1ケ月以上生活してるんですねえ。この人達がなめた苦しみは、今のところは不便なところで寝てるっていうことで、年寄りが病人が、いろいろ死なれたり、病気が悪くなったりしてられるけれども、元気なものも含めて、放射線の病気がはじまってくるのは、おそらくこの秋から来年の春にかけて、沢山出て来るだろうと私は想像しています。でも、ま、仮に病気になった人を私の病院に入れて、この人の今の下痢は放射線の影響ですということを証明する学問がまだないんです。これが泣き所です。だから人をああいう目にあわせて殺した側は、完全犯罪だよね。30年後に癌で死んで私はあの時にあの被曝をしたから、この病気になったんだ、なんぼ言っても、証拠を挙げられないんだ。今の医学は、それを見つけるところまでまだ行ってないんだ。

理由は、簡単なんです。あの放射線のつぶの大きさはね、皆さんが持つている定規の一番小さなメモリは1ミリメートルです。その1ミリメートルの60億分の1というのがウラニウムの粒の直径なんです。これが体の中に入って悪さをする。今の医学は、人間の体を分解して細胞という一番小さな命の単位のところで病気を見つける。これの60億分の1のところで今病気を起こしてることは、それを見つける方法を持っていない。だから治す方法もなければ消すことも出来ないという、特別なエネルギーをなんで選んで日本人の国の中で電気を起こさなきゃならないのかということなんだ。
みんなは知らないからあのほうが沢山電気が起こるんだとか、他の奴より、えー、地球の空を暖かくしない、温暖化を防ぐからとかうまいこと言われて何となく、それで出来る電気で恩恵を受けてのうのうとしているけれども、敦賀の原発の1つが今もし事故を起こせば広島はひとたまりもなくその影響の中に入ります。だから、私達はもちろん核兵器はもうつくってもいけないし使つてもいけないという運動をします。だけどもこうなつてみれば、原発だつて許すことは出来ない。私達の仲間の日本人が一たび事故を起こせば何百万人という人が今東北で苦しむ。あの姿は皆さんの明日ではないということは誰も言い切れない。だから放射線というものはまだ人間が自由にコントロール出来ないエネルギーなのでから、これはもう掘り出すことを止める、もちろんこれを使うことも止める、ということが、人類が全体で長生きするためには、世界中がこれをやらなくてはいけない。

政府は、あの原発の事故を起こしたところから、20キロ30キロのところの人は悪いけど立ち退いてください、やっといましたね。アメリカはこのニュースを聞いたときに、日本にいるアメリカ人に80キロ離れたところへ逃げろということをアメリカは言ってるんですね。もう翌日もうそういう発表している。それからフランスもドイツも日本に派遣している特派員、これは12日の朝には、本国から、大阪まで逃げろと、東京のとこは全部そう言われています。つまり、それだけ逃げていなければ、お前の将来はあぶないよということを、フランスもドイツもアメリカもよくしってるから、ちゃんとそういう放送をするんですね。日本政府はひと月たってやっと、20キロ30キロのところを、恐る恐るあんた向こう行って下さい、なんてとぼけたことをやっている。つまり何にもしらないんですよ、日本の政府は。金儲けだけを考えている。だから、私は今日わざわざ、広島へ此処へ来て、この中には山口県の新しくできる原発反対に協力している若い方が、いっぱいいると聞きました。
私も広島陸軍病院にいたときに、上関の婦人たちの健康診断を頼まれて、一度あの当時は村でしたけどあそこへ行ったことがあります。穏やかな非常に景色のいいお魚の美味しいところですね。その漁場を追われて、今ほんとうに真剣になって、東電来るな、いやあの中電来るな、電気会社に反抗して頑張っています。とうとう力負けしてだんだん向こうのほうが有利になっているようですが、今度の事件があったので、会社が強引に進めるのを、ちょっと今、休んでるようですね。

だからこれからの日本の国民の戦い方一つで、日本のから、原発は追い出すことは私はできると思っています。そしてそういう力を集めて、核兵器を絶対に世界からなくす。皆さんはのんきな顔をしてるけど、今の政府民主党の議員の中にも、日本が原爆を持てという議員がもう60%を超えてるんですね。日本が核兵器を持って、もう一度よその国と喧嘩をするということを考えている議員が全体の議員の中で50%をもうこえてるんですね。だからみなさんがこれから、これからの自分たちの生涯、これから皆さんが持つ子供、孫、その上に放射線の恐ろしさや不安を絶対に感じさせないような国にこの国を作り替える、これが私が一番大切な事だと思っています。どうも長いことご苦労さん。



肥田舜太郎著「広島の消えた日」


肥田舜太郎著「ヒロシマを生きのびて」


肥田舜太郎著「内部被曝の脅威」


肥田舜太郎著「ヒロシマ・ナガサキを世界へ」


肥田舜太郎翻訳書「人間と環境への低レベル放射能の脅威」


内部被爆




肥田舜太郎先生からの年賀状です。


肥田先生から年賀状を頂きました。日本政府がいかに広島・長崎の被曝体験を学ばず被爆者を
蔑ろにしてきたか再認識出来ました。我々医師達は少しでも病気にかかる危険性があれば予防しょう
と努力します。しかし福島第一原発事故に関して政府は無責任にも安全であるかのような収束宣言を
しました。広島、長崎、チェリノブイリ事故、スリーマイル島事故で何を学習してきたのでしょうか。





















人の命は自分で守るもの
何が起っても他人にたのまず
全力で生きる努力をしましよう
2011年8月6日
肥田舜太カ




放射線は人間のいのちの大敵です。
あなたは自分のいのちの主人公です。
自分のいのちを放射線から守るのは
あなたです。
一人、一人がいのちの主人公として
放射線とたたかって長生きしましよう
2012年3月17日
肥田舜太郎












肥田舜太郎先生が語る「真実の原子力」
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY
これをご覧になられた方へお願いがあります。
あなたの家族や友達など大切な人に伝えて頂けないでしょうか?
このバトンが日本中に回ることを期待しています。

肥田舜太郎先生へのインタビュー
http://www.ustream.tv/recorded/17706098







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大阪府交野市の保健福祉総合センターに於いて
2012年3月17日に肥田舜太郎先生の講演を
聞く事ができます。
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