軍医少尉の資料館



ここに昭和19年5月中旬に広島第一陸軍病院江波分院で愛犬ジョンと撮影した軍医少尉の写真が一枚あります。1年3ケ月後の昭和20年8月6日午前8時過ぎ広島に原爆が投下されました。広島第二陸軍病院本院は爆心地より僅か800mの距離に位置し当日の入院患者は約750名,職員は約330名で原爆炸裂後陸軍病院は炊事場の煙突一本を残して全病棟が倒壊・全焼し軍人・医療従事者の75%が即死しました。辛うじて脱出した人も数日のうちに死亡しました。瓦礫の中から奇跡的に脱出九死に一生を得て生き延びた軍医少尉(広島第二陸軍病院本院の12名の軍医中6名が生存)の意志を受け継いだ遺族が歴史資料館を開設しましたので御覧下さい。軍医少尉は90歳まで内科医として医療に従事しましたが平成18年10月1日午前10時30分に91歳で永眠しました。原爆が投下された後,自らに原爆症状が出現しながらも懸命に被爆者の救援を行った医の亀鑑となる一医師がいたことを忘れないで欲しいと思います。このホームページを亡き父と大東亜戦争で祖国の為に戦われ散華された英霊に捧げます。  


  【廣島・原爆】  【廣島陸軍幼年学校】  【大日本帝国陸海軍軍装資料】


【廣島陸軍病院療養歌を聞く】
        【廣島陸軍病院歌を聞く】


【肥田舜太郎先生の講演】
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昭和18年9月5日】             【昭和18年10月27日】
兵舎見習士官室入口にて              余り力みすぎたのと
                                  水筒の見えるのが気になる



廣島衛戍病院表門(1945年5月以降廣島第二陸軍病院本院と呼称されました)



廣島衛戍病院第十三号病室(昭和20年5月以降は廣島第二陸軍病院と呼称されました。
第十三号,第十五号病室は内科病棟でした。)




廣島陸軍病院第
分病室正門(昭和20年5月以降は廣島第一陸軍病院本院と呼称されました。)



商品陳列所(後の廣島県産業奨励館)



原爆が投下される直前の中国軍管区司令部関連施設周囲の航空写真
(廣島城,廣島陸軍幼年学校,廣島第一陸軍病院そして第ニ陸軍病院)
昭和20年7月25日・米軍機からの航空写真(米国国立公文書館蔵より引用)




原爆投下2日後の中国軍管区司令部関連施設周囲の航空写真
昭和20年8月8日・米軍機からの航空写真(米国国立公文書館蔵より引用)












  【English・英語】  

【Deutsch・ドイツ語







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